世界で一番かわいい猫と暮らしていた
令和2年3月3日、もう日付が4日に変わろうかという頃。
僕の実家で、僕の母の腕の中で、世界で一番かわいい猫は安らかに息を引き取りました。
病気や術後のつらさや苦しさと必死に闘いながらも、最後まで僕たち家族に寄り添ってくれた、大切な家族です。
そんな大切な家族、クロちゃんの事を書きます。
年末から吐く事が増え、食事があまり喉を通らないと母から聞いていたので病気を疑ってはいましたが、病院で検査を受けると腫瘍ができていたそうです。
手術が終わり、1週間後に退院してからは嘘だったかのように元気に家の中で過ごしていたと聞いています。
僕の両親を安心させるために、元気だよ、心配かけたね、と伝えたかったのかもしれません。
しかし、それからすぐまた嘔吐が続き食事をとれなくなってしまったのでやはりもう一度病院に連れて行くと、検査の結果悪性腫瘍だった為もう長くはないということでした。
それからというもの日中は病院に預け、夕方には父が迎えに行き夜は家族と一緒に過ごす日々が続きました。
その頃です。僕が一度お見舞いに行ったのは。
点滴のチューブや包帯、ペースト状の食事。なによりじっとしたまま動かずにいる姿が見ていてつらかったです。壁の方をじっとみつめ、きっと動く元気も無く、動くことすら辛かったのだと思います。
それなのに、そろそろ帰ろうかと声をかけると急に立ち上がり、少しだけこちらを見てその場で一周ぐるりとまわると、また元の体勢にもどりました。
つらかったのに顔見せてくれてありがとうね、と声をかけると、鍵尻尾の先がほんの少しだけ左右に揺れます。
声は出さないけどちゃんと聞こえてるよ、と尻尾で返事をする時のいつもの仕草です。
それを見てありがとうの気持ちで胸がいっぱいになり、しばらくその場から離れられませんでした。
2月19日、その日は僕がクロちゃんと過ごした最後の日になりました。
3月4日の朝、母からの連絡を見ました。
明日の朝行くからと伝え、その日のうちに葬儀の予約も済ませました。不思議と涙は出ませんでした。高速道路を走らせ実家に着くまでの間も、むしろ看病や心労で母は大丈夫だろうかと、そちらの心配が大きかったです。
実家に着き、リビングのドアを開けると母はいつもの穏やかな顔で、迎えてくれました。
クロちゃんはこっちよ、と仏間に案内してくれる母の後についていくと、15年生きた僕の家族は仏壇の前で、病院の先生が用意してくださった箱の中で眠っていました。
箱の中には、戸棚から袋を出す音が聞こえただけで鳴いてせがむ程大好きなおやつ。いくつになっても夢中で遊んでいたので何度もボロボロになって、その度に父が買い直してきたおもちゃ。いつだったか、いつも呼んでも返事をしなくてどこにいるか分からないから動いたら家のどこかで音がするようにとプレゼントしてあげた鈴付きの赤い首輪。
大好きなものや思い出の品に囲まれて、世界で一番かわいい猫は眠っていました。
それを見た瞬間に、それまで一切泣かなかったのに、たくさんの思い出が頭の中を埋め尽くして、一気に涙が溢れてきました。
大きくクリクリとした黄色い目で、瞳は体と同じく綺麗な黒色をした猫でした。いつも横から見ると綺麗なガラスの球体のように透き通り、本当に綺麗な目をしていました。
最期は目を開けたままゆっくりと息を引き取った為、目蓋を閉じさせてあげる事は出来なかったようですが、歳を重ね少しずつ曇っていったその瞳が、たくさん長生きをして僕たち家族にたくさんの癒しをくれた事を伝えてくれています。
必死に病気と闘った体は痩せこけ、体重は元気だった頃と比べて3kgも減っていたそうです。
その小さな体を抱き抱えると、お正月に抱き上げた時とは、いいえ、今までの15年間抱き上げてきた重さと比べると驚く程に軽いのでした。そして所々にある手術や点滴で自慢の毛を剃られたその痕が本当に痛々しく、彼の闘病生活の辛さを教えてくれました。
ずっとずっと小さな時から毛並み、毛艶の良い黒猫でした。歳をとって闘病生活に入ってからも、いつも綺麗な毛並みの猫でした。
そうやんねえ、これはクロちゃんの自慢やもんねえと、しみじみ思うとまた涙が止まらなくなります。涙がとまらないのに「家族もお客さんからも、みんなから褒められとったね。自慢の毛並みやもんねぇ。」そんな言葉をかけ、余計に涙が溢れてきます。
言葉をかけてあげたくてたまらなかったです。
つらかったやろうね、たくさん頑張ったね。
たくさん頑張ってえらいね。
ありがとうね。
言葉を交わせたらどんなに良かっただろう、と思います。
しかし、それができないから僕たちは目の前の世界で一番かわいい猫を眺めるんです。撫でるんです。抱き寄せて頬擦りをし、小さな体を抱いてあげ、沢山たくさん愛情を込めた言葉をかけてあげるんです。
そして言葉を交わせなかったからこそ、今、沢山の言葉や愛情をまだまだかけてあげるんです。
だって15年過ごした今でも、愛した家族にかける言葉は、このひと時ではまったく足りない!
「クロちゃん」と声をかけると「ニャン」と返事をする時もあれば、「ン〜〜?」と振り向くこともあるし、かと思えば返事もせず、こちらを見向きもせず尻尾を左右に一往復させるだけの時もありました。
カーテンの裏でこちらを向き、鈴の音で居場所を伝えてくれることもあります。
世界で一番かわいい猫はもう返事をしてくれません。かわいい鍵尻尾を振ることもありません。家のどこかで鈴の音が鳴る事もありません。
でも小さな体、その重みと冷たさは、僕の腕の中にいる事を教えてくれていました。
猫の耳って冷たいんです。腕の中で眠る世界で一番かわいい猫の耳を触ると、やっぱり冷たいんです。
その冷たさが、いつも腕に抱いていた時のぬくもりを思い出させて、また涙が止まらないんです。そんなぬくもりを思い起こさせる冷たさは、きっと15年間の思い出がそうさせるのでしょう。
小さなその耳はそんな不思議な冷たさをしていました。そしてたくさんのぬくもりをはっきりと僕の指に刻みつけた冷たさでした。
ふと、遺体が納められたその箱を見ると「You are my family forever」と綴られており、その文字が目に入った瞬間にまたボロボロと泣いてしまいました。
別れの時がきても、一度紡がれた家族の絆です。僕たちはいつまでも家族です。
ありがとうクロちゃん。
あの日うちにきてくれて、僕たちの家族になってくれて本当にありがとう。
1時から葬儀の予定だったので、家から車で15分程度のところにある霊園へ向かいました。
山道を通り、隣町の田園風景が開ける手前に、日当たりの良いところにある小さな霊園です。
職員の方に遺体を預けてからは待合室に案内して頂きました。
待合室には骨壺や、お骨を入れる事のできるキーホルダー、散骨用のプランなどの案内が書かれたパンフレットが置いてあり、それを眺めているとこれからいよいよクロちゃんの体は焼かれてしまうのだという実感が湧いてきて、また涙が止まらなくなりました。
しばらくするとノックの音が聞こえ、職員の方から葬儀の用意ができました。と声がかかります。
案内された部屋に入ると、そこはまさに式場で、奥に進んだ先には僕の家族が綺麗な白い布をかけてもらい、大好きな物や思い出の品に包まれて眠っており、その姿はやはり世界で一番かわいい猫なのでした。
葬儀を終え、最後のお別れの時間を頂きました。
こんなに綺麗にしてもらえてよかったね、向こうではお腹いっぱい食べてね、たくさん頑張ったね、うちにきてくれてありがとうね、今までたくさんたくさんありがとうね。
母と一緒に、何度もかけてあげた言葉をなんどもかけます。
でもやはり返事はありませんし、尻尾ももう動かないのです。
お別れの時間を済ませると、ついに火葬が始まります。
待合室で一時間程でしたでしょうか、母とたくさんクロちゃんの思い出話をしました。
初めて我が家にきた時の事。ずっと小さな声ででも力強くニャーニャーと鳴いており、その声はお腹が空いているのだとすぐにわかりました。
次の日には買ってきたトイレの場所をすぐに覚えた事や、小さな小さな体でピアノのペダルの上で遊んでいた事。
まだ僕たち家族の手の上に収まるほどの小さな体。
母が晩ご飯の用意をしている時にまな板の魚を母の目を盗んで机の下に持っていった事、からあげを盗んだ事もありました。
やっぱり魚が好きなのか、父が晩酌の刺身を食べる時はいつも父の横に来て、ニャーとねだっていた事。
父はそんなクロちゃんを本当に可愛がっていました。こいつは俺の所にきたらエサもらえると思ってからに!と嬉しそうに。俺の事が一番好きやもんな!と。
母が朝食や夕飯の支度をしているといつも足元へ寄ってきて体をすり寄せてニャーニャーと鳴くのです。
自分もご飯が欲しいんだと鳴くのです。
母はいつも、もう今忙しいのに、と言いながら料理の手を止めて、僕に頼むこともなくクロちゃんのご飯を用意してあげていました。
クロちゃんもお腹すいとったんねー、と笑顔で。
網戸を閉め忘れて家から飛び出してしまった事。あの時は家族みんなとご近所さん協力してくださり総出で探しまわりました。
見つけて追いかけるとタターっと逃げて、でも少し走ると立ち止まってこちらを見るのです。
まだ来ないの、と言わんばかりに。
その顔が小憎らしくて、でも遊んでほしい気持ちがわかって。
しばらくすると満足したのか一人でに我が家の庭へ走って行き、追いついた父に抱き抱えられて家に帰る事ができました。
それがきっかけだったと思います。クロちゃんに鈴付きの首輪をプレゼントした一番の理由は。
春はいつも窓辺に座り夏はいつも網戸の前で体を伸ばして横になり、秋はいつも膝掛けの上にうずくまっています。
冬はいつも炬燵の中かストーブの前でうずくまっていました。
春は軒下の雀に向かってクワックワックワッと不思議な声を出していたのを思い出します。
夏は暑いのか、フローリングの上で寝そべる事が多かったです。
秋は快適だったのかな?朝になると誰よりも早く起きて二階から一階を何度も行ったり来たり駆けずり回ります。
冬はよほど寒いのか、ストーブを点けていない時でもストーブの前に置いたクロちゃん専用の膝掛けの上で香箱座りをしていました。
それでも家族が誰か帰ってくると必ずニャーと鳴いて、特に父が帰ってきた時は玄関まで走っていくのです。
いつも玄関で育てていた猫草を持って入ってきてくれるから。
母が新聞や雑誌を読んでいるといつも机の上に登ってきて、何をするでもなく新聞や雑誌の上に座り込んでしまいます。
テレビで小動物が映っていると肩を乗り出してテレビに見入っていました。
母がクロちゃんを抱くといつも得意げな顔で僕を見てきます。
その顔を撫でるとゆっくりと目蓋を閉じ、気持ちよさそうに寝るのでした。
少し寒い時は顔を母の脇の中へ少しずつうずめていく、その仕草がまたかわいいのでした。
小さな小さな体から紡ぎ出されるたくさんの思い出はたった一時間で待合室を埋め尽くし、僕と母は泣いていました。
ノックの音が聞こえ、案内された部屋に通されると、そこには精一杯生きたクロちゃんの最後の姿がありました。
一つ一つのクロちゃんを骨壺に詰めて。
母は小さなソケット型のキーホルダーを購入しました。
これまでは病院くらいでしか外出したことがなかったから、いろんなところへこれからも連れて行ってあげたいと語っていました。
全てが終わり、家へ帰る道のりは不思議と暗い気持ちではありませんでした。
職員さん達が気遣ってくださった事や、お別れの時間で沢山言葉をかけてちゃんとお別れをできたからだと思います。
実家に戻り仏壇にクロちゃんのお骨を置いて、母と一緒にもう一度お別れを言いました。
クロちゃんの返事は聞こえないけれど、たくさんたくさんありがとうと伝えました。
ありがとう。
僕は世界で一番かわいい猫と暮らしていました。
そのお別れの日のお話でした。
それから1ヶ月、父はすっかりペットロスになってしまい毎日寂しい寂しいと言っているのだと、母からLINEが届きます。
母も言葉には出しませんが、その文面からはやはり寂しさが伝わるのでした。
ペットと暮らすにあたり、家族を失う別れの日は必ず訪れます。
もちろん家族を残して別れる事もあります。
その時に後悔しないよう、
それまでに沢山の愛情を、大切な家族に。
これを読んでいる誰かに、今以上に思って欲しいです。
きっと貴方のそばにいる猫も世界で一番かわいい猫なのですから。
それではまた、ネットの片隅で。