バカすインド天国

ネットの片隅に芽を出した雑草

「恋は雨上がりのように」は人生の一時期、一回は絶対にわかるアニメだと思う。

どうも、しきです。

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間違っても、深夜に我が家の戸を叩かれぬよう…

 

 

 

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アニメ、恋は雨上がりのように、の視聴を本日終えました。

 

感情表現が不器用で一見クールな17歳の女子高生・橘あきら。彼女はアルバイト先のファミレス『cafeレストラン ガーデン』の店長である45歳の近藤正己に密かに想いを寄せている。自他共に認める“冴えない男”の近藤だが、あきらはそんな彼の魅力を「自分だけのもの」として、胸に秘めた恋心を募らせていた。そんなある日、アルバイト中に起こったとある出来事をきっかけに、あきらの秘めたる恋心は大きく動き出していく。

恋は雨上がりのように - Wikipedia より引用

 

細かな描写が丁寧且つ繊細に描かれており、時折見せる水中に漂うような、泡に優しく包まれるような描写も含め、非常に綺麗な気持ちで最後まで観ることができました。

 

きっとあきらの近藤に対する想いは、恋とはまた違った感情だったのだと思います。

友人の喜屋武と交わした約束を果たせなくなった時。

飛ぶことを、空を見ることを、風を見ることを、諦めた時に。

 

雨に打たれ傘も刺さず、ふと立ち寄ったファミレスで、自身の心象風景に降り止まない雨を重ねて、たった一人で居た時に。

近藤からの温かなコーヒーが、意表を突いた手品が、そして

 

「きっと、すぐ止みますよ。」

という言葉が、あきらの心を優しく包み込んでくれていたのだと思います。

 

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あきらはそれを錯覚していたのかもしれません。

傷心していた心を埋めてくれた近藤に対する想いを、これは恋心だと。

 

月日は流れ、あきらは忘れかけていた、諦めかけていた喜屋武との約束を、

いえ、自分との約束をもう一度果たそうと立ち上がります。

「雨はもう、上がります。」

最終回のあきらの言ったこの言葉はきっと、あきらから近藤へお礼の言葉だったのだと思います。

 

あの時「きっと、すぐ止みますよ」と声をかけてくれた近藤へ。

そして夢を諦めかけていた、夢を追いかけていた頃の気持ちを忘れてしまっていた近藤へのエールだったのだと思います。

 

 

私は全編を通してあきらの気持ちを以上の様に捉えていた為、最終回はあきらの失恋、というよりも、これからお互いの夢を果たした後に始まる恋を予感させ、非常に心地よい終わり方で絞められたな、と感じました。

 

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山口貴由さんという漫画家の描かれた蛮勇引力という、私が世界で一番好きな漫画があります。

この作品の中には見開き1ページを使い、このような言葉が綴られています。

 

おだやかな黄河の流れのどこかに
龍門と呼ばれる激流があり
そこをくぐり抜けた鯉だけが
龍になって天空に登ることが出来る
一生に一度、誰もがその渦に出会うものの
避けて通る事も出来る難所、挑む者は万に一匹

 

俺達は今 龍門の中にいて
骨をも軋ませるうねりの中で
龍になる日を想い胸を焦がせている

 

俺達が敗れるのを、願っている奴に告ぐ

 

相まみえる日がいつになろうと
おまえに後ろを見せて
逃げ隠れする相手では決してない

 

この言葉と、姿勢こそ違ったかもしれませんが、私はあきらや近藤の姿に「蛮勇引力らしさ」を感じました。

 

人生は、誰しもあきらや近藤のような時を漂う時があるのだと思います。

何かに挫折して、自分との約束すらも、それも諦めてしまったのか、それとも忘れてしまったのか。

 

流されてしまってもよかったのかもしれません。

それは激流ではなかったのかもしれません。

近藤の過ごしたあまりにも長い時間は、彼にもう一度激流へ身を投じる勇気を与えてはくれませんでした。

彼の背中を押したのは、あきらの持つ若々しさや、同級生で見事小説家デビューを果たしたちずるに思い出させてもらった、学生時代の「あの頃の気持ち」でした。

そしてあきらの背中を押したのは、傷心していた自分を優しく包み込んでくれた近藤や、同級生の喜屋武に思い出させてもらった、一緒に風を見よう、という約束でした。

 

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燕は、龍門を越えた龍でした。

 

あきらも、そして近藤も燕として天空へ登る事を一度はあきらめ、夢を忘れ、それでも互いの約束を果たす為もう一度もがく事を、もう一度激流の中に身を投じる事を決めました。もう一度天空に登る事を夢見ました。

蛮勇引力から伝わるエネルギーとはまた違った話だったかもしれません。

 

それでも

私はそんな話だったと思っています。

 

山口先生は蛮勇引力の愛蔵版に掲載されたインタビューで以下の様に語っています。

 

蛮勇引力」は人生の一時期、一回は絶対にわかるマンガだと思う。

 

私は今も激流の中でしょうか。

いつまでも龍になることを夢見ている時期はもう過ぎ去っているのかもしれません。それは私自身の弱さ故、激流を越えてなお自らの五体を晒している此処は激流なのだ、と思っているのかもしれません。

 

 

ただ、あきらや近藤の夢が、あきらや近藤自身が燕となって天空へ登ることができますよう。

 

このアニメの感想はこれで以上です。

 

 

 

 

それではまた、ネットの片隅で。